沿革

本学の外科学教室は、1912(明治45)年、私立日本医学専門学校設立とともに須宮寛博士を外科部長として誕生した。その後制度改革により専門分野に細分化されたが、その源流を引き継いで1935(昭和10)年5月の松倉三郎の教授就任により第1外科学教室として誕生した。松倉教授は戦前戦後の34年にわたって第1外科学教室を主宰し、イレウスの死因の研究、胆石の生成、胆嚢炎の発来に関する研究は高く評価された。1957(昭和32)年には第57回日本外科学会総会、1959(昭和34)年には第45回日本消化病学会総会を主催した。

1968(昭和43)年、本学付属第一病院より片岡一朗が教授として赴任し、消化器外科の他に、胸部外科を導入した。

故 代田明郎教授

故 代田明郎教授

(1972~1985)

1972(昭和47)年、教授に就任した代田明郎は、松倉三郎から受け継がれた胆石・胆嚢炎の研究から発展して、外科的黄疸の病態生理学的研究、イレウスの病態生理学的研究、さらにはショック、特にエンドトキシン・ショックの研究に無菌動物を用いてその発来機序を明らかする一方、治療面では高圧酸素療法を全国に先駆けて導入し、その治療成績の向上をはかった。また、食道外科の導入、肝臓外科の導入をはかり、消化器外科全般に亘る発展の基礎を築いた。消化器癌については、国内外の研究室との連携により基礎研究を進め研究分野を大きくひろげていった。また、臨床面での他科との連携も盛んとなり、特に門脈圧亢進症に伴う数々の病態に対し、Interventional Radiologyの手技をいち早く手術療法とともに応用し、成績の向上をはかった。

故 恩田昌彦教授

故 恩田昌彦教授

(1985~2002)

1985(昭和60)年、恩田昌彦が教授に就任し、「病める人を癒す医療」を自らすすんで実践し、消化器専門医として、さらには消化器外科を中心とする総合診療科としての第1外科学教室の方向性を示した。特に、臨床面では時代のニーズに応えた形で、がんの進行度に応じて、拡大手術はもとより、縮小手術、さらには低侵襲手術を目指した内視鏡下手術を確立した。また、診療の能率化のため、臓器別あるいは研究内容別細分化をはかり、がん治療、臓器移植、外科感染症、ショック、創傷治癒、外科侵襲学、遺伝子診断及び治療、ヘリコバクター・ピロリなど、新しい研究を外科学の立場から導入している。しかも、それぞれの分野で指導的立場の教室に築き上げ、学会の評議員、指導医を数多く輩出している。学会活動のひとつとして、日本腹部救急診療研究会、日本創傷治癒研究会、さらに日本ショック学会の3研究会を学会に発展させ、それぞれ学会初代会長を務めた。

田尻 孝教授

田尻 孝教授

(2002~2009)

2002(平成14)年、田尻孝が教授に就任。組織改編の流れの中、大学院大学への改変とともに、講座としては「日本医科大学大学院医学研究科臓器病態制御外科(第一外科)」、診療科としては「日本医科大学第一外科(消化器外科・一般外科・乳腺外科・移植外科)に変更された。また、講座としては日本医科大学外科学教室となり、診療科として上記のごとく表記している。2008(平成20)年10月、日本医科大学第15代の学長に就任し、「人を思いやる心」を重んじた医学教育に力を注いでいる。

内田英二教授

内田英二教授

(2009~2018)

2009(平成21)年、内田英二が教授に就任。2012(平成24)年、組織改革により「日本医科大学消化器外科」と名称が変更された。輝かしい伝統を守る一方、新たな消化器外科教室を築いた。

吉田寛教授

吉田寛教授

(2018~現在)

2018(平成30)年、現職の吉田寛が教授に就任。 教授就任直後より日本医科大学付属病院 副院長として近隣医療機関との医療連携を強化し、手術症例数が増加した。