沿革
本学の外科学教室は、1912(明治45)年、私立日本医学専門学校設立とともに須宮寛博士を外科部長として誕生した。その後制度改革により専門分野に細分化されたが、その源流を引き継いで1935(昭和10)年5月の松倉三郎の教授就任により第1外科学教室として誕生した。松倉教授は戦前戦後の34年にわたって第1外科学教室を主宰し、イレウスの死因の研究、胆石の生成、胆嚢炎の発来に関する研究は高く評価された。1957(昭和32)年には第57回日本外科学会総会、1959(昭和34)年には第45回日本消化病学会総会を主催した。
1968(昭和43)年、本学付属第一病院より片岡一朗が教授として赴任し、消化器外科の他に、胸部外科を導入した。